自分が「グレープ」の歌と出逢ったのは1975年、中学2年生の時です。小学校時代には沢田研二さんや布施明さん、尾崎紀世彦さんといったいわゆる歌謡曲を中心に聴いたり、歌ったり、振り付けを真似して踊ったりしてました。それと、自分は天地真理さんの大ファンでした。中学に入って、二つ歳上の姉の影響でカーペンターズやビートルズなども聴くようにはなりますが、その頃の自分が、フォークソングなどには全く興味がなかったのに対して、姉はカーペンターズのみならず井上陽水さんやらチューリップやら、荒井由実さんなどもよく聴いていて、まあ、幅が広いというか・・・。そんな姉がある日突然「追伸」とかいう曲が入ったシングル盤を家に持ち込んだのです。今から思えば、この「追伸」という曲との出会いがきっかけで、自分はその後、森鴎外の大ファンとなり、鴎外の作品を片っ端から読むことになります。姉はその「追伸」と、その裏面に入っていた「ひとり占い」を、代わる代わる順番に、毎日何十回もかけて聴いていました。しかもレコードプレーヤーのボリュームをかなり大きくしていたので、ご近所から苦情が来ないかと、自分も両親もとても冷や冷やしていたんです。姉に向かって「騒音だ!公害だ!」と叫んでも自分の声などは全く聞き入れられず、仕舞いには父がガツンと言って、幾分ボリュームは下がりましたが、レコードをかける回数が減ることはありませんでした。それでも自分は、そんな姉にはもちろん飽きれていたものの、実は、姉の聴いているそれらの曲に対しても良いとも悪いとも、特に何も感ずることはなく、ただちょっぴりうるさ目のBGMくらいにしか思っていなかったのです。しかしそんな毎日が来る日も来る日も続けば当然耳にタコが出来ます。いつの間にか「追伸」と「ひとり占い」の2曲が目を瞑っていても全部歌えるようになっていました。 たまにラジオで流れてくれば、無意識に口ずさんでしまいます。いえ、何も聞こえて来なくても、いつの間にか頭の中で勝手に前奏が始まって、その音楽に合わせて歌い始めてしまう、そんな自分になっていたのです。
「すべては『追伸』から始まった。」
